端午の節句に鯉幟を立てる風習が始まったのは江戸時代の頃からとされています。
江戸時代の初期、武家でのぼりや吹流しを立てて祝ったのが始まりとされ、それが縁起のよい鯉の形となって町人の間に広まっていったようです。端午の節句には男子の健やかな成長と立身出世を願い、武者人形や鎧兜を飾り、粽や柏餅を食べて、菖蒲湯に入る風習もあります。
鯉は位の高い魚で、鯛よりも上に置かれてきました。日本料理でも鯉は魚の中で一番上とされています。コイ科の淡水魚で、口に二対(4本)のひげがあります。鯉と鮒はよく似ていますが、鮒にはこの口ひげがありません。
頭から尾にかけて一列の鱗が36枚あることから三十六鱗(さんじゅうろくりん)や六六鱗(ろくろくりん)、六六魚(りくりくぎょ)という異称を持っています。中国には「六六変じて九九鱗となる」という言葉があり、九九鱗は龍の鱗が81あるという伝説に基づくとされています。
中国黄河上流の急流である竜門を昇った鯉が龍になるという伝説から、鯉は出世を意味する縁起物として祝事に用いる風習が生まれ、また立身出世の関門を登竜門というようになりました。
鯉は海から離れた土地に暮らす人々の貴重な蛋白源としても用いられてきました。昔は大阪の淀の鯉が最良とされ有名でしたが、現在では信州佐久(長野県)などがよく知られています。
鯉の味噌汁である鯉こくや鯉の甘露煮、鯉の洗いなどの料理のほか、岐阜県西南濃地域には鯉飯という郷土料理が伝わっていて、めでたい席などで必ず炊かれていたといいます。ぶつ切りにした鯉を辛めの味付けで煮て、米と一緒に炊いてかき混ぜて食べますが、小骨があるので「いばら飯」とも呼ばれています。