古く日本の農村で七夕はお盆の行事のひとつだったとされています。1年を2つに分けて考えていた当時、7月は正月同様に大切な月とされました。7月の満月の頃(15日頃)に祖霊を迎えて収穫物を供え、感謝する先祖祭りが行われ、この行事が後にお盆になったと考えられています。七夕は先祖の霊を迎えるための禊(みそぎ)の意味を持つ行事でした。
この行事の準備として、7日の夜には乙女が水辺の小屋に籠もり神様にささげる布を織ったといわれ、この乙女を棚機女(たなばたつめ)と呼んだことから、七夕(しちせき)を「たなばた」と読むようになったといわれています。
現在の七夕は、中国から伝わった伝説と日本古来の習わしが結びついたものとされます。
彦星(牽牛星:けんぎゅうせい)と織姫(織女星:しょくじょせい)が年に1度だけ天の川を渡って会うことができるという星伝説は、古代中国で生まれました。織女星が機織りの仕事をつかさどる星であることから、七夕に裁縫の上達を祈願する「乞巧奠(きっこうでん)」という行事が生まれました。
乞巧奠は、奈良時代には日本の宮中に伝わり、その後七夕として民間に普及し、短冊に書道や裁縫の上達を祈る願い事を書いて、笹竹に下げる風習が行なわれるようになったといいます。また願い事を書く時に、里芋の葉に溜まった露で磨(す)った墨を使うと、字が上手になるという言い伝えがあります。(2017年7月)